最近は演出備忘録。
「測定の乱れによって誤差が制約を受けるという主張だが、その測定とはどんなものか、誤差とは何かという科学的定義がハイゼンベルクにはありません」を映画に置き換えると、「見るとは何か、他者とは何か」となるか。
別れ、とは何か?
後説のアクションつなぎ。
小津安二郎→秋刀魚の味→ゴルフの的→矢の的→丹下左膳余話 百萬両の壺→山中貞雄
浮気だけではドラマにならない。失恋だけではドラマにならない。欲望と愛は違う。
物語は偶然始まる。
偶然の秘密が証されたとき、すべてが終わる。
一項では数式にならない。二項あって初めて数式となる。
ある事象がフィクションとドキュメンタリーの両面を孕んでいる二重性は、この世界が根源的に備えている性質と言える。例えば光が粒子であることをドキュメンタリーとすると、光が波であることはフィクションである。逆に光が波であることをドキュメンタリーとすると、光が粒子であることはフィクションである。
芸術を生業とする者の言葉はてんでアテにならない。真に受けちゃ駄目。本来それはすべて作品の中にある。見れば良い、聞けば良い、読めば良い。