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最近は演出備忘録。
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「つまり、この世界が三次元で出来ているというその次元の三要素は、自分と他者と客観というわけだ」とおぬまはあざらしに話しかけた。あざらしというのは おぬまの妻なのだが、家では暇さえあれば本を読んでいる。おぬまが退屈しのぎに話を振ってもまるで耳に入っていない様子で、時折文庫本のページを捲るばか りである。おぬまが返事をあきらめた頃、あざらしは右の手で左の耳の裏をポリポリ掻きながら顔は上げずに「なんで男の人って世界の話ばかりするんだろう ね」とようやく口にした。おぬまにとっては易しい質問だった。「クリント・イーストウッドが遠い目をして夕日を見ていたら惚れないかい?」「そりゃまあ、 惚れちゃうよね」「だろ。その時、イーストウッドは何を考えていると思う?」「さあ……」「世界について考えているんだよ」あざらしは本を閉じて部屋を出 て行ってしまった。おぬまはチラリと時計を見やり、そろそろ出かける時刻であることを確認した。
神楽坂恵は300回声に出すことを確かに実践してきた。台詞の読み方ですぐにわかる。口が台詞を覚えているのだ。話を聞くと、妹と読み合わせをしたらしい。「妹が案外上手いので少し焦った」と神楽坂が言った。
とにもかくにも台詞が“言える”ようになったので、その日は多少の動きを含めて台詞を言ってもらうことにした。初めはここに立っていてください、 この台詞まで言い終わったら真っ直ぐ歩いてここで立ち止まり、次の台詞を前を向いたまま言ってください、そうしたら相手がここに来ますから、相手のこの台詞が終わったところで振り返り、最後の台詞を言ってください……というような具合である。なんて普通なんだ! と、おぬまは今、書きながら感じた。人が日常、普通に実践していること。その反復。それが演技なのかと妙に感心した。なあ、そうだろう? どう思う?
あざらしは返事をせずに本を読んでいる。(つづく)

※概ねフィクションですよ!
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予定より早く、あるい遅く到着しても間が悪くなってしまうので、待ち合わせ時刻のきっかり五秒前におぬまは先日と同じ場所にやってきた。神楽坂恵はやや緊 張した面持ちで「おはようございます」と口にしながらも目線を合わせづらそうにしていた。前回の経緯を考えれば彼女の心理状態はごく自然なものであった が、客観的に見ればむしろ追い詰められていたのはおぬまの方であった。もし再び神楽坂が台詞を覚えられずにしどろもどろな有様であったら、おぬまの演出戦 略は早くも根底から崩れてしまうことになる。それは神楽坂の能力がどうこうという問題ではなく、監督側の「こうしたい」というメッセージが今後すべて効力 を失う事態を招くことになるのだ。監督の言葉がまるで地球をも貫くニュートリノのように何にも干渉せず何をも変えないという、おぬまにとっては身の毛もよ だつような状況である。おぬまは本読みが終わるまで、祈るような思いでじっと目を閉じていた。
神楽坂はどうにか台本を見ないで台詞を言い切った。この際読み方はどうでもよい。とにかく言えた! 俳優として当たり前のことかもしれないが、 監督のメッセージが俳優に伝わったという意味でそれはとても大事なことだとおぬまは噛みしめている。それが達成されれば、今度は俳優のメッセージが監督に 伝わることが可能になる、と。自分と他者の通じ合いのはじめの一歩であり、それをカメラという客観で世界を捕らえる、撮る、見る、その行為そのものが映画 だ、と。
台本2ページ分の台詞を、何度も読んでもらった。神楽坂はその間、数度台本を見直すことがあったが、もう大丈夫。おぬまと神楽坂のスタート地点はすでに一致しているから。予定の2時間が経過したので、おぬまは次の課題を彼女に託した。
「次回までにこの台詞を300回、声に出して読んでおいてください」(つづく)

※概ねフィクションですよ!
歌舞伎町で「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観て劇場を出た。自分で蒔いた種を自分で刈り取ろうとする庵野総監督の強い意志に惚れ惚れとしながらぼんやり とパチンコ店の裏通りを歩いていると、人波の狭間に一台の自転車がこちらに向かってフラフラと近づいてくるのが見えた。「使徒!」とおぬまは呟き身構えた が、もちろんそれは使徒ではなくて丸い顔をしたHさんである。Hさんの自転車は、道行く人にぶつかりそうでぶつからず、一心不乱におぬまを目指しているよ うであった。おぬまが足をそろえると同時に、自転車もすぐ脇に停まった。ゼルエルに似てなくもないなとおぬまが考えていると、Hさんはまっすぐ前を見たま ま言った。「監督、チケットは何枚売れましたか?」
おぬまとHさんの横をヱヴァを見終えた大勢の観客が通り過ぎていく。おぬまはまだ3枚しか売れていませんとは口が裂けても言えなかったが、この 日はあらかじめ返答を用意していたので戸惑うことはなかった。「先日、電車で席を譲ったご老人が武蔵野辺りの地主だったんですが、とても感謝している様子 で『童貞放浪記』のことを話したらチケットもだいぶ付き合ってもらえそうなのです」
Hさんはしばらく無言でスースーと息を吐いたあと、「○○という映画の監督はイベントで五百人集めたそうですよ」と言い残し、フラフラと自転車を漕ぎながら去っていった。(つづく)

※概ねフィクションですよ!
神楽坂恵とプロデューサーI氏に台本を見ずに台詞を読んでもらう。台本で2ページほどの長さだが、一週間も前に二人に渡しておいたので台詞を覚えるのはそ れほど難しいことではない。とはいえ、半分ぐらい台詞が入っていればよいだろうとおぬまは割合優しく構えていた。途中で台詞がわからなくなったら台本を見 てもいいよ、と。しかし、神楽坂はほとんどすべての台詞を、台本を見ずに言うことができなかった。一方、I氏はきちんと台詞が頭に入っていて、1度も台本 を見ていない。これではどちらが俳優なのかわからない。初めは緊張しているのかと思ったが、何度やっても同じだった。
上手下手はともかく一生懸命やるその姿が大事なのだ、俳優自身の人生が観客に伝わるのだ、ということを小津が言っていたような気がする。彼女を 見にきた観客にいったい何が伝わるのかと思うと、おぬまは貧血と高血圧が同時に起こったような気分になった。とにかく。立ち上がろう。そう考えたとき、す でにおぬまは立っていた。
「今日は止めます」
おぬまは、矢も楯もたまらず、まるで逃げ出すように部屋をあとにした。部屋を出るときに、マネージャーMさんの狼狽した表情と強調した胸元が見えた。
交通量の激しい大通りをおぬまがユラユラと歩く。夏にはまだ間があったが、天気が良くて汗ばむような陽気だったと記憶している。家に帰るべきか、 あるいはどこか別の場所に行くべきか、でも行くってどこへ? というか今どこに向かっているんだろう、そんなことをボーッと考えながら彷徨した。横断歩道 で信号待ちをしながら神楽坂のことを思った。岡山から上京し、デパートで化粧品を売っていたところをスカウトされたと聞いていた。胸の大きさがスカウトの 目にとまったのだろう。デビューが遅かったので、グラビアアイドルにしてはスレてない性格が美点だと最近わかってきた。グラビアアイドル時代、一歳だけサ バを読んでいたと言っていた。女優になるのでもうサバは読まないとも。
またリハーサルをやることになったら、神楽坂は台詞を覚えてきてくれるだろうか。もし彼女が台詞をすべて暗記してきたら、明るい未来が待っているような気がした。
信号が青になったので、おぬまは少し速度を上げて歩き始めた。携帯電話を取り出すと、歩きながらI氏に電話をかける。次回のリハーサルの日時を決め、電話を切った。おぬまはさらに歩速を上げる。『監督をクビにならなくて良かった』と思った。(つづく)

※概ねフィクションですよ!
神楽坂恵とプロデューサーI氏の二人に、「キャッチボール屋」の台本をコピーした用紙を見ながら台詞を読んでもらう。狭い室内に反響する神楽坂の声をおぬまはじっと聞いている。
神楽坂の演技は「学校の階段」で直接見ているし、それ以外にも映像資料で見ることができるものはすべて見ていたので、彼女の声質も読み方もいつも 通りであった。ここがスタートとなる。映画「童貞放浪記」をどのように作っていくか、その具体的な戦略をイメージし始めるのはまだまだ先のことであった が、少なくとも神楽坂をヒロインとして据える以上、彼女の能力以上のものを前提として演出することは絶対に避けるべきだと、おぬまは肝に銘じていた。出番 の少ない脇役ならば、「3歩歩いて45度振り返って少しだけ笑う」といったお人形さんのような演技でごまかすことも考えられるが、ほぼ主演に相当する役と なると、その登場人物の生い立ちや性格や人間関係や今朝食べたごはんの味まで心と体に叩き込んでから出てくる台詞でなければならない。であれば、技術もさ ることながらまずは神楽坂恵という女優の生い立ちや性格や人間関係や今朝食べたご飯の味を自覚しながら登場人物のそれと重ね合わせ、その総体として台詞が 口から漏れ出てくるようにする必要がある。そのための2ヶ月半だと覚悟しなければならなかった。
もう一度、台本を読んでもらう。とにかくスタートだ、ということだけをおぬまは確認し、次に台本を見ないで台詞を読んでもらうことにした。(つづく)

※概ねフィクションですよ!
マネージャーのMさんが手帳に記した時刻きっかりに、おぬまが某マンションの一室(のちのスタッフルーム)に行ってみると、すでに神楽坂恵は動きやすい服装で準備万端、しっかりリハーサルに備えているように見えた。おぬまは特にワークショップなどの経験はなく、メソッドとかなんとかそういう演技理論の類と も縁がなかったので、とにかく映画のリハーサルを2ヶ月半やるつもりで乗り込んでいった。神楽坂の隣にいるマネージャーのMさんの顔を見るとギャラの件が 頭を過ぎったが、それも一瞬だけだった。むしろ気になったのは神楽坂より遙かに胸元を強調しているMさんの服装だったかもしれない。なぜ強調しているのか その理由はよくわからないが、気が散るので丁重にご退席していただいた。
神楽坂一人ではリハーサルにならないので、相手役としてプロデューサーのI氏にお願いした。また、当時、映画「童貞放浪記」の脚本はまだ初稿す らあがっていなかったためリハーサル用の台本を用意する必要があったのだが、おぬまが選んだのは「キャッチボール屋」という映画のワンシーンだった。 「キャッチボール屋」にはおぬまもほんの少し出演していて、そういう縁もあって手元に台本が残っていたのだ。その中からほぼ会話のみで成り立っているシー ンを抜き出して、すでに一週間前に神楽坂に渡してあった。
映画において演技を構築していく上でいくつかの段階があると思われるが、まず“本読み”から始めるのが一般的である。すなわち、俳優が座ったま ま台本を手にして台詞を読む。演技を耳で聞くところから始めるわけである。小津安二郎と野田高梧は、脚本を書き上げたら最後に声に出して読んでみて、会話 が自然に聞こえるかどうか必ず確認していたという。台詞を耳で聞くことは映画作りにおいて最も基本的な作業と言えるだろう。
というわけで、カーペット敷きの床に、おぬまと神楽坂とI氏が無造作に車座を組んで本読みが始まった。(つづく)

※概ねフィクションですよ!
ダグラス・サークの特集上映を観た帰りに、偶然S監督と久しぶりにお会いしてロッテリアで小一時間ほどお茶をしたのは去年のいつごろだったか。少なくとも それは映画「童貞放浪記」の撮影前で、おぬまはヒロインとしてキャスティングされた神楽坂恵のマネージャーから早くワークショップをやってくれとあたかも それが決定事項のように手帳に書き込まれていたのを思い出す。「ちょっと待ってください」とおぬまがマネージャーのMさんを制止したのは、その分のギャラ が本当は欲しいけれど絶対にくれないだろうな、という一瞬の逡巡があったからに過ぎないので、その直後には「そうですね。そろそろ良い時期かもしれません ね」とギャラの話には少しも触れずに済ませることができた。しかし、ギャラの件はともかくとして撮影まであと2ヶ月半という期間、グラビアアイドルから女 優に転向宣言した神楽坂恵をどのように扱って良いのかわからず、おぬまは途方に暮れていた、、そういう時期だったと記憶している。
S監督とは一昨年公開された「学校の階段」という映画でお仕事をご一緒させていただいたのだが、その作品には神楽坂も出演していたため、自然と 話題は彼女に向けられた。おぬまが準備中の作品で神楽坂がヒロイン役だと説明すると、S監督はそれがいかに困難で挑戦しがいのあるプロジェクトであるかを 瞬時に理解した。S監督に対して演出面のアドバイスを率直に求めたところ、S監督は熱心に応えてくれた。「例えば自分の作品で首が切られてスポーンと飛び 出す演出を加えてみたら、スタッフはそれを面白がってあれこれアイデアを出すようになり現場のモチベーションがとても上がったものだ」そう言ってS監督は アイスコーヒーをがぶ飲みした。おぬまもアイスコーヒーを少し飲んだ。もはやそれは神楽坂の演技力についてはあきらめろというお達しにも聞こえそうなもの だったが、おぬまはむしろ「粘り強く対処すれば必ず道は開ける」という前向きな助言と受け止めることができた。ギャラはともかく、神楽坂と対等な立場でと ことん戦うべきだと考えたのだ。
その後2ヶ月半、神楽坂恵のリハーサル地獄は始まったわけである。(つづく)

※概ねフィクションですよ!
京橋の試写室で映画「童貞放浪記」の試写を終え、銀座の通りを駅に向かって歩いていたら、まっすぐな歩道の遙か向こうに見えるドンツキから自転車らしきも のがフラフラとこちらに向かって近づいてくるのが見えた。自転車は本当にフラフラしていて危なっかしいのだけれども、酔っぱらっているというふうには見え ず、ただ遠くからでもあきらかに何かブツブツと呟いていることだけは判別できた。どうにもいやな予感がしたのだけれど、自転車が近づいてくるにつれやはり その人は丸い顔であることがはっきりとしてきたので、おぬまは反射的に両足をそろえた。自転車はおぬまのすぐ脇に止まると、丸い顔のHさんが前方を向いた まま「監督、チケットは何枚売れましたか?」といつものように挨拶抜きで聞いてきた。
Hさんは「童貞放浪記」の配給宣伝をしているAという会社の社長で、一ヶ月前最初に会ったときにおぬまは「500枚売ってください」と言われて いたのだ。まだ2枚しか売れていませんとは口が裂けても言えなかったので、とりあえず「親戚に話のわかる宗教団体があるのでそこで少しつきあってもらおう と思っています」と具体的な数字はあげずに煙に巻こうと試みた。Hさんはしばらく無言でスースーと息を吐いたあと、「△△という映画の監督は二千枚売りま したよ」と言い、またフラフラと自転車を漕ぎながら去っていった。(つづく)

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